太宰治 本書が出版された昭和18年は、戦争のただ中にありその年の2月からは酒も配給制になっていた。彼の酒宴好きは、昭和16年に出版された『津軽』の中でも、当時も貴重であった酒を、友の家に押しかけてはありがたく頂戴していたことが綴られている。その彼にとって、酒が飲飲めないことは、たいそう寂しいことだっただろう。毎晩の晩酌も配給された酒に目盛りを振って、ひと目盛りずつを大切に飲む。そのひと目盛りを超えて飲んでしまうと水を足す。また、客人に酒を飲まれては大変と、お酒を飲むときには雨戸も戸締りもしっかりとして、誰にもとられないようにちびちびと飲む。当時の酒好きの人々にとって、まさしく命の水であったに違いない。
さらに、その酒を巡って、飲み屋のおやじに気に入ってもらい少しでも酒を飲もうと媚びをうる。人それぞれ様々な作戦が遂行される。そこまで、と思うがなんとも人間らしい。
そして最後には、酒が飲めないとなると、もともと飲まない人まで、飲みたくなる様子がビアホールを舞台に描かれている。
人間というものは、ないものは、欲しがり、少ないものは取り合おうとしてしまう。分け合おうという気持ちにはなかなかなれないものだなと、今も変わらない自分をふりかえり苦笑いが出た。
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