2025.01.08 03:37『こころ』夏目 漱石 『こころ』は1914年(大正3年)に朝日新聞の連載物として書きだした小説である。元々は『こゝろ』という表記であったが、新仮名遣いに改め『こころ』となったそうだ。 本書は「私」が人嫌いの先生の過去を遺書という形で知るお話である。遺書には、先生が秘めた心を持つようになった2つの大きな出来事が綴られていた。一つは両親の死後、信頼していた叔父さんに両親の遺産を使い込まれ先生がだまされたこと、もう一つは、東京での下宿先のお嬢さんを巡り、大切な幼馴染のKに対して、不誠実な態度をとりKを自殺に追い込んでしまったのではないかと思っていることである。 このお話では、人間は、「お金や自分が失いたくないもの」が目の前にある時、簡単に善人から悪人に変わってしまうこ...
2024.12.23 12:03『60歳からの手ぶら人生』弘兼 憲史 持ち物を半分にしようから始まるこの本では、物、人お金、家のそれぞについて、れ説明がされている。それ今本当に必要なの?必要なものは時間と共に変わっていくよ。と。確かにに多くの物に囲まれて、今も狭い机で、パソコンを操作している。そして毎朝、「あれ、あったはずなのに、無い、無い、無い、と朝からひっくり返っていることがも多々ある。こんなことに時間を割いている暇はないのに、と、朝の忙しい時間に慌てる。確かに、手ぶらで良いなら、それに越したこともない。荷物が多いと、残された家族が大変だし。どのように、整理をつけていけばよいかを指南してもらおう。
2024.12.23 08:11『太陽の子』灰谷 健次郎 昭和58年に発表されている児童書である。場所は兵庫の下町にある「てだのふぁ・おきなわ亭」という沖縄の郷土料理を提供するお店に集う人たちの物語。主人公のふうちゃんは明るく優しい小学6年生の女の子である。そのお店には、お母さんと、心の病気を持っているお父さん、オジやん、がいる。常連客にはギッチョンチョン、左腕がないろくさん、父親の親友ゴロちゃん ぎんちゃんど、沖縄にゆかりのある人々が集ってくる。。ギッチョンチョンはある日沖縄生まれのキヨシ君をを店に連れてくる。彼は、ギッチョンチョンの部屋に泊めてもらうがギッチョンチョンのお金を盗んでしまう。そんな彼にふうちゃんは偶然出会い、追いかけている途中にアキレス腱を切ってしまい、入院する。それを知ったキ...
2024.12.23 03:31『斜陽』太宰治 昭和22年、戦後の混乱期に発表されている。子どもたちから最後の貴婦人と呼ばれていた母、姉のかず子と弟の直治の貴族としての生活から、民衆となる苦悩を愛と共に描かれていいた。貴婦人として生活をしている東京では、母がスープを飲むしぐさがかわいらしく上品であることが伝わってくる。そしてお金が底をついてくると、東京の家を売り、伊豆へと一家は引っ越す。直治は、酒や、女、麻薬にも手を出し、堕落した生活を送る。そして、姉のかず子も直治が世話になっている上原に一度キスをされて、恋に落ちてしまう。そのような中、母は結核にかかり死んでしまう。かず子は念願かなって上原との一夜を過ごす。その時に直治は自殺をしてしまう。遺書には、母や姉への愛と、人妻を愛してしまったことの...
2024.12.21 07:44『布団』田山花袋 主人公の文学者である時雄が33歳の時、19歳の女子大生芳子が弟子入りすることになった。時雄には、3人目を身ごもった妻がいた。弟子入りするにあたり、文のやり取りだけだったため、芳子がどのような女性かわからなかった。しかし、やってくると、ハイカラな美しい女性であった。時雄は倦怠期の妻にばれぬよう、芳子と不倫がしたくて妄想を巡らす。しかし、一向に実行できずに妄想が膨らむ。そんな時に、京都に旅行をした芳子は、同志社大学の2年生田中君という男性と恋に落ちる。自分だけのものと思っている時雄は彼女と田中を表面では、二人が結ばれることを伝えながら心の中では、どうにかして、彼女から田中君を引き離すことしか頭になかった。そして時雄が執着していた肉体関係についても...
2024.12.20 04:29『城の崎にて』志賀直哉 1917年に発表された有名な作品である。久しぶりに再読してみた。著者が山手線にはね飛ばされて怪我をしたことから城崎温泉で、療養をすることになる。城崎での静かで少し寒々しい時が流れていることが伝わってくる。秋の美しい夕焼けや、澄んだ川の中に気持ちよく泳いでいる山女、足に毛の生えた川かに、そして、旅館での音もなく流れていくその空気も感じた。しかし、そのような時、著者はあまりよくないことを考えていた。先立たれた家族と青山墓地で、一緒に並んでいる姿を想像していた。死に対する親しみを感じた、と述べている。確かに山手線の電車に飛ばされて、生きていることの方が不思議に思えた。だが、生きていた。それに対しての喜びというものがわいていて来ているわけではない。い...
2024.12.19 23:21『禁酒の心』太宰治 本書が出版された昭和18年は、戦争のただ中にありその年の2月からは酒も配給制になっていた。彼の酒宴好きは、昭和16年に出版された『津軽』の中でも、当時も貴重であった酒を、友の家に押しかけてはありがたく頂戴していたことが綴られている。その彼にとって、酒が飲飲めないことは、たいそう寂しいことだっただろう。毎晩の晩酌も配給された酒に目盛りを振って、ひと目盛りずつを大切に飲む。そのひと目盛りを超えて飲んでしまうと水を足す。また、客人に酒を飲まれては大変と、お酒を飲むときには雨戸も戸締りもしっかりとして、誰にもとられないようにちびちびと飲む。当時の酒好きの人々にとって、まさしく命の水であったに違いない。 さらに、その酒を巡って、飲み屋のおやじに気に入って...
2024.12.19 09:44『蟹工船』小林多喜二 初版は1929年(昭和4年)に発行されている。このお話は、1926年(大正15年)に実際に起きた事故を筆者が取材している。 蟹工船とはオホーツク海のカムチャッカの漁場に行き、カニを取りながら、その場で、カニを処理して缶詰を作っていく工場付きの船のことである。この船は、船でありながら蟹を加工する目的の工場を持っていることから、「航海法」も「工場法」も適用されない。そして、海上に出てしまうと、誰の目もない無法地帯のような最悪の労働環境となった。そこに集まる人々は、働き口を求める貧困の人々であった。彼らは、60円の給与の前払い金をもらうものの、宿代移動代、その他で、結局みな何円かの借金を作らされている。そして仕事は、労働監督者と呼ばれる男の指示に...
2024.12.18 06:59『小僧の神様』志賀直哉 大変短いお話ですが、とてもほっとするような素敵なお話でした。あるお店の番頭さんたちが、お寿司話をしているのを聞いて、小僧さんがお寿司を食べたくなって、その噂の店の屋台すし屋で、マグロに手を伸ばしたけど、お金が足りなくて、そのまま寿司を戻して、恥をかいてしまう。その様子を見ていた貴族議員の彼は、そんな小僧さんをたまたま買い物で見かけ、彼にたらふく寿司を食べさせたいと思う。かれも、自分の身分を明かさずに、そっと、小僧さんにお寿司をたらふく食べさせた。誰かわからない方にごちそうになった小僧さんは、いろいろなことを考えるのだが、最後にそれは、きっと仙人やもお稲荷様かもしれない、などなど、超自然のモノかもと想像を拓らます。そして、苦しいときや辛いとき、...
2024.12.17 09:36『兎の眼』灰谷健次郎 初版は1974年の児童書である。その当時、私は東京のデパートに両親と連れて行ってもらうと、デパートの入り口で、軍服を着た片腕のない兵隊さんが、デパートの入り口に座っておられたのをを覚えている。今思えばに光と影がはっきりと混在していた時代だと思った。小さい私が見ていたのは、街はききれいなお店が並んでいき、カラーテレビも家に来て、レストランでお食事もできてきれいなお洋服をーも着て…というきらきらした時代として見ていた。一方、影の部分としては、戦争で傷んだ方々や戦争孤児と言われる子供たち、また差別を強く受けていた人々も多く多くいたのではないか。このようなことを考えさせられる本だった。そして、このような背景の中で書かれた本書には、主人公として、大学...
2024.10.03 07:02『定年バカ』瀬古浩嗣 この本は、章立てを読んでもクスクスニヤニヤしてしまう。第1章 定年バカに惑わされるな 第2章 お金に焦るバカ、第3章 生きがいバカ、第4章 健康バカ、第5章 社交バカ、…と続き第9章 あとがきと続く。それぞれ、の章で世の中の定説であったり、自分の思い込みについて、わかりやすく解説しながら、そのようなものは必要ない。と断言してくれる小気味よさがある。読みながら、これほどクスクス笑顔で読み進めた本もなかなかない。「お金に焦るバカ」の章では、アンケートの結果を用いて、お金がどれくらいあれば幸福で、どれくらいないと不幸なのかを述べている。結局は使いきれないほどはいらないというう。まあ、そうでしょう。アンケートでは、多くの人がいる層は、幸福でも不幸でも...
2024.09.30 10:00『60代からの幸福をつかむ極意』斎藤孝 本書で筆者がバートランド・ラッセルの『幸福論』を読み解きながら、幸せをつかむ方法について述べている。ラッセルは、幸福とは舞い降りてくるものではなく、自ら掴み取るもの、これが大前提となると示している。幸福論では関心を内なる自分ではなく外に向ける。すると無数の面白いものに気づく。外はもちろん幸せばかりがあるわけではなくたくさんの問題や苦しみもあるが、それは、自己嫌悪から来るものではないので、自分の本質を打ち砕くほどのものではないと示している。シンブルな指摘に納得した。そして、競争から降りることも示されている。人は刺激を求める癖があるので、刺激満載の競争は、なかなか手放せない。しかし、生死を分けるような競争でない限り、ジタバタせずに参加しない。なるほ...