志賀直哉 1917年に発表された有名な作品である。久しぶりに再読してみた。
著者が山手線にはね飛ばされて怪我をしたことから城崎温泉で、療養をすることになる。城崎での静かで少し寒々しい時が流れていることが伝わってくる。秋の美しい夕焼けや、澄んだ川の中に気持ちよく泳いでいる山女、足に毛の生えた川かに、そして、旅館での音もなく流れていくその空気も感じた。しかし、そのような時、著者はあまりよくないことを考えていた。先立たれた家族と青山墓地で、一緒に並んでいる姿を想像していた。死に対する親しみを感じた、と述べている。確かに山手線の電車に飛ばされて、生きていることの方が不思議に思えた。だが、生きていた。それに対しての喜びというものがわいていて来ているわけではない。いろいろな観察をして、本を読み、動物や昆虫の死を眺める。そして意を決して医者に行くが、致命的な傷ではないことがわかる。
人は背中に死をしょっている。それは必ずだれにでも訪れる。ただ、そのことからは誰もが目を背けている。九死に一生を得た筆者は、静かに死と向き合っていたのかと想像した。確かに死は静かでありたい、と思った。
(山手線は18885年3月1日開業)
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