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以下の予定について、変更、中止があります。ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いします。
3月21日 笑いヨガ教室のみ開催します。(やさしい哲学カフェは中止です)
3月28日 笑いヨガ教室&やさしい哲学カフェは閉室します。
次回4月以降の予定については、追ってお知らせします。
どうぞよろしくお願いいたします。
3月14日の笑いヨガ教室&やさしい哲学カフェは
会場のご都合により閉室します。
次回の開催日は 3月21日(金)10:30~ です。
どうぞよろしくお願いいたします。
開催日
✨3月7日・14日・21日・28日の 金曜日 10:30~13:00
場所 「如山会」教室
京都市左京区下鴨東高木町12番地 2階
①【笑いヨガ教室】
時間 10:30~11:30
参加費 1回 1,000円
持ち物 お水 タオル
動きやすい服装でご参加ください。
➁【やさしい哲学カフェ】
時間 12:00~13:00
参加費 無料
持ち物 お飲み物
やさしい哲学カフェのみご参加の方は、
11:45~入室してください。
😊笑いヨガと、やさしい哲学カフェの両方にご参加される方は、軽食をお持ちください。11:30~昼食休憩があります。
(😊どちらか一方のみの参加もできます)
前日までにご予約ください😊
※会場の変更などをご連絡をする場合があります。
皆様にお会いできることを楽しみにしています⛄
ご参加申込・お問い合わせ先
😊公式LINE
https://lin.ee/e1lbExZ
😊gmail
waraiyogakyoushitsu@gmail.com
※2月21日は閉室します。
※2月28日の哲学カフェは「茶話会」(無料)となります。
開催日
✨2月7日・14日・28日の 金曜日 10:30~13:00
場所 「如山会」教室
京都市左京区下鴨東高木町12番地 2階
①【笑いヨガ教室】
時間 10:30~11:30
参加費 1回 1,000円
持ち物 お水 タオル
動きやすい服装でご参加ください。
➁【哲学カフェ】
時間 12:00~13:00
参加費 1回300円
持ち物 お飲み物
哲学カフェのみご参加の方は、
11:45~入室してください。
😊笑いヨガと、哲学カフェの両方にご参加される方は、軽食をお持ちください。11:30~昼食休憩があります。
(😊どちらか一方のみの参加もできます)
前日までにご予約ください😊
※会場の変更などをご連絡をする場合があります。
皆様にお会いできることを楽しみにしています⛄
ご参加申込・お問い合わせ先
😊公式LINE
https://lin.ee/e1lbExZ
😊gmail
waraiyogakyoushitsu@gmail.com
夏目 漱石 『こころ』は1914年(大正3年)に朝日新聞の連載物として書きだした小説である。元々は『こゝろ』という表記であったが、新仮名遣いに改め『こころ』となったそうだ。
本書は「私」が人嫌いの先生の過去を遺書という形で知るお話である。遺書には、先生が秘めた心を持つようになった2つの大きな出来事が綴られていた。一つは両親の死後、信頼していた叔父さんに両親の遺産を使い込まれ先生がだまされたこと、もう一つは、東京での下宿先のお嬢さんを巡り、大切な幼馴染のKに対して、不誠実な態度をとりKを自殺に追い込んでしまったのではないかと思っていることである。
このお話では、人間は、「お金や自分が失いたくないもの」が目の前にある時、簡単に善人から悪人に変わってしまうことと、もうひとつ、人の心の中の本心は言葉を使い、きちんと話さなければ何も伝えられないし、何も受け取れないことも伝えたかったのではないかと思った。なぜなら、先生は、叔父さんにもKにも、相手にきちんと向き合って話すことなく、先生の心の中だけで解釈をしてそれを抱えたまま一生を過ごしていたからだ。そして、その真偽がわからないから、誰も信用できずに人嫌いになっていたと考えられる。だが、それは本人の勝手な思い込みだったかもしれない。
日本には今も、空気を読むという言葉が使われ、語らずにその場や相手の心を察したり、相手から自分の心を察してもらおうとする文化がある。しかし、それでは相手に自分の意思を伝えることや相手が思っていることを正しく知ることはできない。その結果、事実とは異なる思いを自分勝手に思い込み、先生の様に振り回されることになるのではないか。察する文化も大切にしつつ、他者には、自分の言葉で意図や思いを伝え、他者からの言葉は丁寧に受け取り続けることが大切なのではないかと感じた。
海に愛されたモアナは愛する島の人々のために自分を信じ勇気をもって仲間たちと冒険に出る。そして様々な困難を仲間と共に乗り越えていく。愛や勇気、そして、自分を信じ、前に行く力が描かれている。観ているものをハラハラさせながら、時に涙を誘う出来事など、2時間の作品であるがその時の長さを感じることなく、あっという間にエンディングを迎えた。私も私を支えてくれている素敵な仲間と一緒に新しい扉を開いていきたいと思った。この映画は新しいことを始めるのに一歩を踏み出す勇気を得たい人や誰のために何をしたらよいのか、迷っているような方に、おすすめ作品だと思います♬
弘兼 憲史 持ち物を半分にしようから始まるこの本では、物、人お金、家のそれぞについて、れ説明がされている。それ今本当に必要なの?必要なものは時間と共に変わっていくよ。と。確かにに多くの物に囲まれて、今も狭い机で、パソコンを操作している。そして毎朝、「あれ、あったはずなのに、無い、無い、無い、と朝からひっくり返っていることがも多々ある。こんなことに時間を割いている暇はないのに、と、朝の忙しい時間に慌てる。確かに、手ぶらで良いなら、それに越したこともない。荷物が多いと、残された家族が大変だし。
どのように、整理をつけていけばよいかを指南してもらおう。
灰谷 健次郎 昭和58年に発表されている児童書である。場所は兵庫の下町にある「てだのふぁ・おきなわ亭」という沖縄の郷土料理を提供するお店に集う人たちの物語。主人公のふうちゃんは明るく優しい小学6年生の女の子である。そのお店には、お母さんと、心の病気を持っているお父さん、オジやん、がいる。常連客にはギッチョンチョン、左腕がないろくさん、父親の親友ゴロちゃん ぎんちゃんど、沖縄にゆかりのある人々が集ってくる。。ギッチョンチョンはある日沖縄生まれのキヨシ君をを店に連れてくる。彼は、ギッチョンチョンの部屋に泊めてもらうがギッチョンチョンのお金を盗んでしまう。そんな彼にふうちゃんは偶然出会い、追いかけている途中にアキレス腱を切ってしまい、入院する。それを知ったキヨシ君は見舞いに来て、いろいろな話が分かる。彼は、「オキナワ」とさげすまされていた。そして、お姉さんは貧困を苦に自殺していた。貧困を苦に沖縄の人が自殺することは多かった。
ある日おきなわ亭はお父さんのために昔のおもちゃで店を飾ろうとなり、子どもがもつ風車も作った。その風車を持って、ろくさんは1人店の陰で風車を回して、泣いていた。ろくさんは、沖縄戦で、まだまだ赤ちゃんだった自分の子供を殺めなければならなくなり、実行した。そうしないと、鳴き声で、隠れていることがばれてしまうから。それをきっかけに、ふうちゃんは戦争について、ギッチョンチョンにいろいろ教えてもらいに行く。目を背けたくなるような写真集をみて吐いた。お父さんの心の病気も過去と現在が混乱して、今まだ戦争中であると混乱する病気だった。沖縄戦での恐怖は、計り知れないと思った。普通に住んでいる場所にいきなり軍人が来て、砲弾を打ちまくられて、そして、捕虜になる前に自決をしている。なんという苦しみだったか、想像を絶する。自決については、軍からの命令と書かれていた教科書の文言が削除されるということもあった。ただ一つ。人が人を殺し合う、戦争は、二度とおこしてはいけない。
それを深く考えさせてくれた本であった。
太宰治 昭和22年、戦後の混乱期に発表されている。子どもたちから最後の貴婦人と呼ばれていた母、姉のかず子と弟の直治の貴族としての生活から、民衆となる苦悩を愛と共に描かれていいた。貴婦人として生活をしている東京では、母がスープを飲むしぐさが
かわいらしく上品であることが伝わってくる。そしてお金が底をついてくると、東京の家を売り、伊豆へと一家は引っ越す。直治は、酒や、女、麻薬にも手を出し、堕落した生活を送る。そして、姉のかず子も直治が世話になっている上原に一度キスをされて、恋に落ちてしまう。そのような中、母は結核にかかり死んでしまう。かず子は念願かなって上原との一夜を過ごす。その時に直治は自殺をしてしまう。遺書には、母や姉への愛と、人妻を愛してしまったことの苦しみ、そして自分が、民衆になるための「切符」を得るために酒や麻薬にも手を出したことなどが切々と書かれていた。そして、母も弟も死んでしまったかず子は上原にも捨てられる。しかし、上原への最後の手紙で、上原の妻に、自分の赤ちゃんを抱かせてくれと頼む。かず子はこれが自分の生き方、愛する上原の子供と二人古い道徳と戦い、太陽の様にに生きると綴られていた。
様々な苦悩が作品から心に入り込み、つらい内容だったが、最後に力強くたつかず子の姿から、私自身も「これが私の生き方だ!!」と勇気と力をもらった気がした。
田山花袋 主人公の文学者である時雄が33歳の時、19歳の女子大生芳子が弟子入りすることになった。時雄には、3人目を身ごもった妻がいた。弟子入りするにあたり、文のやり取りだけだったため、芳子がどのような女性かわからなかった。しかし、やってくると、ハイカラな美しい女性であった。
時雄は倦怠期の妻にばれぬよう、芳子と不倫がしたくて妄想を巡らす。しかし、一向に実行できずに妄想が膨らむ。そんな時に、京都に旅行をした芳子は、同志社大学の2年生田中君という男性と恋に落ちる。自分だけのものと思っている時雄は彼女と田中を表面では、二人が結ばれることを伝えながら心の中では、どうにかして、彼女から田中君を引き離すことしか頭になかった。そして時雄が執着していた肉体関係についても芳子はついに白状すると、時雄は怒って芳子は父親と実家に帰され田中から、芳子を奪い取ることは成功した。その後、時雄は芳子をなつかしみ、愛おしさで、自分の家に下宿していた芳子の部屋に入り、彼女のリボンや布団を引っ張り出して布団を引き、そこで彼女のにおいをかいで、泣く。
今読むとこの時雄は何してくれたんだろうと腹立たしい気持ちになるが、当時は大ヒット作品であったそうだ。それについては、明治・大正期で唯一、恋愛における嗅覚につい言及していることと、不倫の心理を見事に描いていることが挙げられるからだそうだ。
志賀直哉 1917年に発表された有名な作品である。久しぶりに再読してみた。
著者が山手線にはね飛ばされて怪我をしたことから城崎温泉で、療養をすることになる。城崎での静かで少し寒々しい時が流れていることが伝わってくる。秋の美しい夕焼けや、澄んだ川の中に気持ちよく泳いでいる山女、足に毛の生えた川かに、そして、旅館での音もなく流れていくその空気も感じた。しかし、そのような時、著者はあまりよくないことを考えていた。先立たれた家族と青山墓地で、一緒に並んでいる姿を想像していた。死に対する親しみを感じた、と述べている。確かに山手線の電車に飛ばされて、生きていることの方が不思議に思えた。だが、生きていた。それに対しての喜びというものがわいていて来ているわけではない。いろいろな観察をして、本を読み、動物や昆虫の死を眺める。そして意を決して医者に行くが、致命的な傷ではないことがわかる。
人は背中に死をしょっている。それは必ずだれにでも訪れる。ただ、そのことからは誰もが目を背けている。九死に一生を得た筆者は、静かに死と向き合っていたのかと想像した。確かに死は静かでありたい、と思った。
(山手線は18885年3月1日開業)